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水府修道館のマークを作りました。

 平成29年11月水府修道館のマークを決めました。マークは下記の意味を込めてみんなで決めました。当団体の活動の信念です。

 ・「柔能制剛」とは柔能く剛を制す。

  柔らかくしなやかな者こそが、かえって剛強な者に勝つことができるという柔道の精神です。

 ・自立、克己、真心は、水府修道館の子供たちの心の中に育つように指導していこうと思っています。

   「自立」は、人の力をかりないで自分の力でやっていくこと。

   「克己」は、欲望を抑え、弱い自分の心に負けないこと。

   「真心」は、嘘偽りのない本当の心。

 ・文字の色は、常陸太田市の花「やまぶき」の色です。

  やまぶきは厳しい環境でも育ち、たくさんの花をつけます。

 ・「青龍」は、水府の龍神狭。昇竜のように子供たちが上へ上へ昇っていくようにとの思いです。

 ・「丸」は、柔道の精神、三船久三先生の球の境地のイメージとして、

  また、水戸藩の甲冑につけられた「欠けているところが一つもない、完全無欠。

  どこから責められても大丈夫」の両方の意味を込めています。

団体名を変更しました。

 平成29年1月「水府柔道スポーツ少年団」から「水府修道館 少年柔道教室」に名称を変更しました。

 水府柔道スポーツ少年団は、昭和58年の発足以来、保護者とともに活動を続けてきました。

 ここ近年、公認・認定指導者の充実や保護者一体となった活動連携の確立がなされていることから、教育システム、人間教育といわれ200以上もの国や地域で認められている「日本伝講道館柔道」をなお一層勉強し、末永く将来にわたって、子ども達と一緒に学んでいこうと新たな決意のもとに名称を改めました。

 活動の内容は、今までと同じく、日本スポーツ少年団や柔道連盟に登録し、柔道を主とした活動ですが、スポーツ少年団が推奨するいろいろな少年スポーツ活動も行い、子ども達の適切な成長への応援をより充実していきます。

 改名にあたっては、現修道館 館長からのご助言があり、当地方は古武道水戸藩の「為我流和術」が盛んで昭和20年代までは、何千人もの門下生が学んでいました。

 「我が二人の子どもの為に」から名付けたといわれる「為我流」であり、その学びの場である「修道館」は、講道館柔道創設時代にも関係が深く、将来の時代を担う子ども達のためにとの思いからなる大変偉大な名称であると思います。

 今も昔も、子どもに対する思いは同じであり、私たちは、この良き郷土の歴史を少しでもつないでいくため、「修道館」の名の下に活動することにしました。

 館長 長嶋 猛夫

新編為我流和術 修道館とは

 「柔道」とは嘉納治五郎師範が明治時代につくられたものです。

それまでは、柔術と呼び、戦国時代から江戸時代にかけて、戦いで相手を打ち負かすための技術で、投げ、寝技、締め、関節だけでなく、当身(殴る)、急所突き(両眼や金的など)などの技で構成されていました。

 水戸藩の為我流和術もそのうちの一つです。

 柔道の創始者 嘉納治五郎師範は少年時代から身体が弱くなんとか強くなりたいと柔術を修行しました。はじめは天神真楊流柔術を、続いて起倒流柔術を学び、それぞれ奥義に達しましたが、他の流派にも興味をもち、それらの研究に打ち込み、諸流のよさをとりいれ、さらに自らの創意と工夫を加えた技術体系を確立しました。

 理論面でも柔術の「柔よく剛を制す」の柔の理から「心身の力を最も有効に使用する」原理へと発展させ、新しい時代にふさわしい技術と理論を組み立てました。

 これが、「柔道(日本伝講道館柔道)」です。

 主とするところは「術」ではなく、この原理と目的により自己完成をめざす「道」であるとして、術から道へと名をあらためました。その道を講ずるところという意味で名づけられたのが「講道館」という名です。

 講道館柔道は、明治15年(1882年)に創始されました。

 明治時代の講道館は、柔道を広めるため、柔術諸派と他流試合をしていました。しかし、柔術は投げ、寝技、締め、関節だけでなく、当身(殴る)、急所突き(両眼や金的など)、関節を極めた投げがあり危険なため、当身や急所突きを禁じた講道館柔道のルールで行っていました。

 現常陸大宮市富岡の柔術「為我流和術」羽石彦三師範も講道館柔道と何度も戦いました。(講道館四天王とも試合し互角の実力でした。)

 為我流和術免許皆伝であり、講道館柔道ともお互いの実力を認め合い、交流を深めた羽石彦三師範は「心身の力を最も有効に使用する」原理と目的により自己完成をめざす「道」とそれを身につける「修」から、明治38年に「修道館」と名付け、修道館初代館長となり、為我流和術の伝承と共に講道館柔道の発展に尽力されました。

 これが「修道館」の興りであり、100年以上の年月を経て現在も継承されているものです。

平成27年5月6日 茨城新聞 為我流和術保存会

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